小手川 雅子
経歴
大阪府生まれ、高校1年夏、福岡県北九州市小倉へ転居。
大学は博多、就職は三年間、小倉で公立中学英語教師。
結婚、出産後、埼玉、兵庫に続き、夫の仕事の関係で渡米。
ワシントン州シアトル、カリフォルニア州サンフランシスコ、
ニューヨーク州バッファロー、イリノイ州シカゴ、に住む。
長男が高校生、長女が5年生の時、地元公立小学校に、
英語日本語の両言語を使って教科の授業を行うプログラムが発足し、
当地域初の日英バイリンガルアシスタントとなる。
幼稚園から6年生まで、英語話者、日本語話者が混じった、国籍多様なクラスで
児童や教師のサポート、書類、教材翻訳、懇談会通訳などをした。
家庭教師でも、幼稚園児から大人まで、日本語と英語の指導をした。
現在の活動に至るまでの出来事
最後の5年は、特別支援教育プログラムでのアシスタントとなり、
重度から軽度の自閉症児を担当した。
専門の訓練を受けつつ、チャレンジの日々だったが、振り返ば、
専門知識、実践トレーニング、子供達や保護者との交流で得たものは、
あたらしい世界での成長につながる貴重な体験となった。
学校には約14年勤めた。
カリフォルニア州サンディエゴに住む長男の元に生まれた
初孫の世話を手伝うことになり退職し、臨時の同居を経験。
それまでの全経験を動員して、生後3ヶ月から孫娘に日本語と英語をインプットした。歌を歌い、本を読み聞かせ、遊び、
日本食、特に本物の出汁や調味料を舌に覚えさせた。
野菜の農薬やGMO(遺伝子組換え食品)、食品添加物や経皮毒を意識し、
食品や日用品を見直した。
離乳食導入時にちょっとしたアレルギーも経験し、
食べ物が乳幼児に与える体への影響を理解した。
孫が歩き始めた頃、母が脳梗塞で入院。小倉の実家に戻り、両親の世話をした。
母の入院中、自宅介護中にも、自分の休息を兼ねて、娘のいる東京へ通い
在米では不可能な学びの場へ参加し、会いたかった先生方の元で知りたかったことを直に学ぶ機会を得た。大学受験以来の試験勉強に取り組み、
食品添加物の神様、安部司氏から、加工食品診断士、
経皮毒の生みの親、竹内久米司氏から、脳環境科学「経皮毒」インストラクターの資格をいただいた。
どちらの資格も、頂いた際に受講生は先生から託され、約束している。
「愛弟子、直弟子、と名乗っても良い。それだけのことを教えた。どんな形でも良い、自分のペースで良いから、一人でも多くの人に、伝えて欲しい。必ず聞いてくれる人がいる、関心を示し、行動に移してくれる日が来る。それが社会と未来を変える。私達が動けば可能だ。」
子育てしていた時代の無知と失敗を苦々しく振り返りつつ、ちょっとしたリベンジの気持ちも手伝って、賢い生活者であるための知恵を、周りから少しづつお伝えしたいと思っている。